無常の風 2011 8 7
書名 Windowsの時代は終わったのか?
著者 阿久津 良和 マイコミ新書
Windows1.0の時代から、いやMS-DOS時代から、
マイクロソフト製品を使い続けている私にとって、
「いつか、この日が来るだろう」と思っていました。
さびしいことですが、時代の流れを止めることはできません。
その予感は、ありました。
それは、ウィンドウズVistaの商業的な失敗かもしれません。
Vistaでは、パソコンのハードウェアの増強が必要になりました。
それは、パソコンがマニアの趣味だった時代においては、
マニアからみれば「うれしかった」でしょうが
(買い換える理由を作ってくれた)、
パソコンが大衆化した時代においては、
「消費者に無理な負担をかける」ということになります。
現在、インターネットとメールだけならば、
スマートフォンやタブレットPCで十分です。
私の知人は、スマートフォンを買ってから、
パソコンを使う機会が、めっきり減ってしまったと言います。
ウィンドウズは、いやパソコンは、
マニア向けの商品(あるいは業務用の商品)に戻るかもしれません。
昔は、パソコンといえば、マニアの趣味だったのです。
「永遠の繁栄が続く」と思われたウィンドウズの時代も、
いつかは、終わる時が来るのです。
仏教的に言えば、この世に「永遠」はありません。
必ず、終わりの日がやってくるのです。
平家物語には、このようにあります。
「祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
ひとえに風の前の塵に同じ」
(意味)
祇園精舎の鐘の声には、
「永遠に続くものは何もない」と言っているように感じられる。
沙羅双樹の花の色は、
「栄えた者は、必ず滅びる」という法則を表している。
権力の持った者も、長く権力を持ち続けることはできない。
ただ春の夜の夢のようだ。
強い者も結局は滅びる。
まるで風の前の塵のようなものだ。
(諸行無常とは、仏教上の教学的な解釈は、
作られたものは、すべて変化し、一定の状態に留まることはないという意味です)
(以上)
この世で、永遠と言われたものでも、
無常の風の前には、砂のように崩れていくのです。
それでは、永遠はないのか。
キリスト教的に言えば、
「永遠に続く」と思われたローマ帝国も、歴史の彼方に消えてゆき、
荒れ野にて、「悔い改めよ、神の国は近づいた」と、
イエスが述べたキリスト教は、21世紀においても輝いている。
「我、すでに世に勝てり」(私は、すでに世に勝っている)
イエスキリストが残した言葉です。